脳動静脈奇形闘病記(病気の経緯)

9月

 8月30日から9月1日まで勝田の病院へ行って放射線治療(ガンマ・ナイフ)をやるのですが、御存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、勝田というのは茨城でも水戸の向こうで、千葉との県境に近い取手からはかなりはなれています。行き帰りとも寝台車という担架で寝たまま移動できる車で移動したのですが、手術より簡単な検査みたいなものだと思ったらあにはからんや、結構大がかりで、行ったその足で(って別に歩いて行ったわけではありませんが...)耳たぶをちょこっと切って血が固まるか検査をしたり、注射したりでいろいろ大変でした。

 翌日はいよいよガンマ線をあてる日でしたが、朝からいきなり手術着に着替えるように云われて、「こりゃまるで手術じゃないか...」と思いました。治療そのものは全く痛くなく、すぐ済んでしまうのですが、頭が動かないようにかなり重いわっかのようなものをつけるのですが、それを固定するために頭蓋骨に四つ穴を開けて、それが痛かったです。まず麻酔の注射をその穴を開ける四つの場所と肩に一カ所ずつやるのですが、これが恐ろしく痛く、その後、穴を開けるために木工用のドリルのようなもので頭をグリグリやって穴を開け、注射ほど痛くはなかったものの、かなり気持ち悪かったです。後、この時血管造影剤を入れたのですが、事前に聞いていたところでは、血管造影剤というのは、体中に造影剤が廻っていく感触がして、かなり気持ち悪いものということでしたが、ここではとてもうまい人がやるらしく、注射したのも分からないくらいでした。

 このわっかをしてしまうとそれまでしゃべらずに首の動きでうんとかいいえを表していたのを、お医者さんに「動かないから喋らないと駄目だよ〜」と云われ、全て喋らなくてはいけなくなったので、取手の病院に帰ると、「言語のリハビリに行ってきたみたい」と云われるほどになってしまいました。

 この月はあと次のリハビリ病院をどこにするかを決めねばなりませんでした。取手の鶴岡先生には、もう脳外科としてはやることはすべてやったので、あとはリハビリ病院を探して。と云われていました。茨城県の県立医療大のリハビリセンターもあるのですが、ここは荒川沖にあって、母親の勤務先は羽村なんだけどかなり遠いし、駅からまたすごく遠い。東京都のリハビリテーション病院というのが墨田区にあるのですが、ここは病院ではないので、脳外科はないし、六十何人待ちといういつになるか分からない様子でした。ここで紹介されたのが狛江にある慈恵医大の第三病院で、ここなら6人待ちとかその程度ということ。結局ここにすることになったのだが、移る話はまた次の章で。

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