事故、そして入院まで

 平成12年8月1日、深夜私は飲みに行った先で、螺旋(らせん)階段の隙間からこぼれ落ちるように落下し、右脳を損傷するという状態になった。いわゆる脳挫傷である。

 その時の記憶は無く、聞いた話をあてにするしかないのだが、それによると救急車で病院まで運ばれる途中、救急車内では手足をバタつかせていて(当然ながら落下した時に既に体の片方が麻痺状態だったので右手、右足のみ)大変だったらしい。

 最初の入院先は新宿の「国立国際医療センター」である。昔「第1病院」と呼ばれていたらしい。

 ICU(集中治療室)で担当医や看護士らに押さえつけられるのを見ていた母は「陽ちゃん!陽ちゃーん!」と泣きながら必死に私の名前を呼んでいてくれたらしい。

 母に後から聞いた話によると、手術前に母が病院へ駆けつけた時、私は耳から出血し、また瞳孔は開いており、先生が仰るには、手術しなければ確実に死に、手術をしても成功する確率は50%で、運が良ければ半身不随で済む(!)が、悪ければ死に至るか植物人間になるという事であり、とにもかくにも承諾書が無ければ手術が出来ないので、書いて欲しいとの事であった。

 まず手術をという事で、その現状をどう手術してとりあえず打開するかという事であるが、私の場合、右脳と左脳の境目の骨が割れてしまっており、そこに、脳内で出血した血液がウミのような状態で溜まってしまっている状態で、いつ破裂するかもしれず余断を許さない状態だった。

 そこでとりあえず、そこの真ん中の骨を外して、中のウミを取り、骨は状態が落ち着いてからきちんとしたもの(といってもレジンという物質で出来た骨に近い形状のもの)を再手術で入れるという事で、とりあえずは状況を見守るという事になったらしい。

 意識が戻るまでに母や、私の事故の知らせを聞いて集まって来てくれた親戚の人達が、私の意識が早く戻るように私の側で、「陽ちゃん頑張って早く目を覚ませ!」と応援してくれたり、私が事故前まで習っていた三味線や民謡のテープを聴かせてくれていたらしい。

 意識が回復する直前、私は夢を見たようだ。
 今は亡き父と母と3人で埼玉県の森林公園に遊びに行き、なぜだか河原で3人で寝そべって色々話している。その時、あまりに幸せ過ぎて、現状を不思議に感じて、「あぁとても嬉しいけど、そういえばお父さんって死んだんじゃなかったっけ?」なんてボーっとしてたら、「そうだ違う!」と意識し、目覚めた時、体中に痛みが走るのを感じた。

 どうやら私は2週間くらい意識をなくしていたらしい。その間、ずっと同じ姿勢で寝かされていたので、筋肉が少し硬くなっていたのだろう。寝返りはおろか片側に向き直る事さえ出来なくなっていて、看護婦さんに身を委ねる状態になっていた。

 それから毎日何をするにも体が痛く、毎日がただ苦しみの日々だった。
 後から母から聞いた話によると、当時下着とかもろくに着けてもらえず、あられもない格好で寝かされていたのを見て、母が「せめて病院のパジャマを着せるとか、オムツをあてるとかして、まめに気を配ってやって欲しい」と伝え、それ以来母も、マメにお見舞いに来るようになり、「看護婦は信用できん!」と自分で積極的に私の世話をやってくれるようになったらしい。

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