病院での生活

 一応ちゃんとした病院食と呼ばれる食事が摂れるようになるまで2ヶ月近くかかった。

 最初の1ヶ月は点滴か流動食(ゼリー状の宇宙食みたいなものや良くておかゆ)で、病院食が食べられるようになっても、最初のうちは殆どおかゆで、段々と5分がゆ、7分がゆと段階を踏んでから白米になった。

 その後、リハビリが始まり、かなりのレベルまで進んでくると、食後に洗面所まで自分で車椅子をこいで行き、歯磨きを自分でするようになった。その前に食後にお茶か水で口をゆすいで、三日月型の桶の中にゆすいだ物を吐き出していた。

 一応食事が摂れるようになってくると、リハビリが始められるのだが、色々な検査を何回もしてリハビリに行けるかどうか様子を見てから始められた。

 最初はリハビリ担当の先生が病棟に挨拶に来て、名前と今後の方針(どういう方向で回復にもっていきたいか等)を相談し、本人(私)の状態(腕や足がどのくらい上がるか等)を見て、後日ナースセンターを通じて日付、時間、場所等の指示をし、その指示に従い私のリハビリが行われた。

 そこのリハビリの先生は良い先生で、患者の事をよく考えて下さって、他病棟のリハビリの合間に私の病室まで回診に来るような熱心な先生だった。

 先生のその熱心さを裏切るかのように私はリハビリの時間は毎回泣き出し、私の泣き声がすると、その日のリハビリは終了となった。

 確かに患者には必要な事なのだが、手足の筋肉が硬まらないように出来るだけ動かさなくてはいけないので、手を上方に引っ張り上げたり、ねじって引っ張ったりするのである。
 今でこそ余裕シャクシャクで出来る事だが、当時はたまらない痛みだったのである。確かに今となってはああされなければ現在のような感覚を取り戻せず、感謝すべき事なのだが。
 加えて座位(座った状態)を保つ事が下手で、座らされてもすぐ横にダルマか赤ん坊のようにコテンと倒れてしまっていた。それをできるようになるまで、先生が隣に座ってつっかえ棒をして座らせて下さったりして、非常におかしな光景の日々が過ぎ、ついに転院まで左手は動かなかったけれど、足の装具(麻痺して動かない側の足を補強する道具)は割と早く着けて歩き始める事が出来た。

 最初は主に先生に支えてもらい平行棒(リハビリに良く使われる、平行に平地に設けられた歩行訓練の為の手摺り)で歩き始め、そのうち自分で歩き、最後には四肢杖(ししじょう・杖の先に四つ足がついたもの)で歩いていた。

 もうその頃になると、何かを支えに掴まって立てるようになっていた。

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