一時帰宅

 そうこうしているうちに入院生活も段々慣れてきて、多少の事は上手く立ち振る舞えるようになってきて、少し自信もついてきた。
 そうなってくると、それからどうしようかという話を担当医や看護婦達との間でなされる訳だが、保健の関係で、3ヶ月以上滞在すると、病院側に赤が出てしまうという事で転院する事となった。転院先は必死に探した結果、都立の大久保病院となった。
 先述のE子さんが一足先に転院していった所である。

 その大久保病院はこの辺でもかなり人気があるらしく、倍率も高いらしいので、心配していたが、割とスムーズに決まってしまったので、家族と担当医で驚く反面、嬉しがってホッとしたものだった。
 さて、転院となると転院を前に、一度気分転換と試験的な事も兼ねて、一時帰宅してみようという話になり、年末から年始の正月前後会わせて5日間程、自宅に一時帰宅が許された。

 転院前のある日、入浴後の着替え時に、看護婦が気付いた事だが、「辱痕(じゅくそう)」と呼ばれる擦り傷のような傷がお尻の尾底骨辺りに出来てしまっており、それがとてつもなく痛かった。
 それはベッドからずり落ちないようにベッドにビニールのようなシートを敷かれてしまい、そこで生活するうちにお尻の皮が摩擦でむけてきてしまい、皮が寄ってしまい、傷口がじゃがいもの芽のようになってしまったのである。
 それからというもの事ある毎に看護婦が消毒に来てゴロゴロ横向きにされたりする度に体中に痛みを覚えてイヤだったので、「今日は調子がいいので大丈夫です」などとウソを言い、何とか消毒を避けようとしたものである。

 それも転院した後、転院先の看護婦の熱心な看護のおかげで、割と早目に、気付いたら回復していた。

 その頃既に座位(座った姿勢)は何とか保てるようになっていた事もあって、一時帰宅は弟の車で行われた。

 自宅で使用する車椅子は区から借りたもので、現在使用しているもののように自分の体に合ったものではなく、タイヤの空気は抜けかかっているというお粗末なものだったが、それを家の中でも外でも使用した。

 トイレに行く時には現在のように歩けなかったので、ベッドから車椅子に移り、車椅子でトイレの前まで行き、母に抱きかかえられるようにしてトイレに入り用を足したものである。
 その際、体が慣れない為、非常に痛かったものである。

 入浴時も同様、車椅子で浴室の脱衣所の入り口まで行き、そこからやはり母に抱き抱えられるようにしてはいり、お互い「痛い痛い」(私が母によりかかることがままあったので)言いながら服を脱ぎ、殆ど最初から最後まで一緒に入っていた。
 体を洗うにも湯船に浸かるにも痛がり、手をやかせたものだ。

 また正月の買い物に行くにも、隣町の大きいスーパーまで寒い中、完全防備をして母と2人で震えながら出掛け、荷物を私の膝の上にのせて抱え込むようにして帰ってきたものだ。
 今思えば、地獄のような怒涛の5日間であったが、病院食とは異なった自宅での美味しい料理も食べられたし、好きな番組も見られたので、入浴やトイレの事等、今後の参考になったという意味で、面白く意義ある帰宅であったと思う。

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