リハビリ

 段々病院の生活にも慣れてくるとリハビリが始められる。

 初めての日の前に一応「○日からリハビリが始まります」と通達が来るのだが、始まったのは予定日より3日程後だった。

 まず、ナースステーションの窓口に自分の診察券が立てかけてあるので、そこから自分の名前を探し、診察券を持参し、担当看護婦に案内されリハビリルームまで行く。そこでリハビリ担当の先生に会い、訓練がはじめられる。

 私がまず紹介されたのはPT(理学療法士 下半身のことを担当)の先生だった。

 その先生はまず、前の病院でどこまで出来るようになったのかを確認し、手や足がどのくらいまで上がるかを確認し、具体的にどの辺まで訓練をしていたのか質問する等して、初日が終わった。

 今度は、終わる時に次回の訓練の時間を告げられて、自分の診察券を渡され、病棟の看護婦が迎えに来るのを待ってから病棟に帰り、またナースステーション窓口の棚に診察券を戻すのである。

 訓練は始めは2日おきくらいの間隔で行われた。

 まず、ちゃぶ台の高さくらいのマットが置かれてあり、その上に腰掛ける事から始まり、平行棒(リハビリに良く使われる、平行に平地に設けられた歩行訓練の為の手摺り)歩行の後、四肢杖(ししじょう・杖の先に四つ足がついたもの)での歩行を経てその日の訓練が終了となった。

 そのうち慣れてくると、マットの上に横になり、そこから起き上がり、マットの淵に腰掛けるという事や膝立ちになり、小さい台の上に膝を乗せる等という事もしたし、階段の上り下りや、スポーツジムで使うようなエアロバイクをやるようにもなった。

 先生は非常に熱心な先生だが、自分が担当している患者の数が多い為、一杯一杯になってしまい、私はおろか、他の患者さんによっては数分放っておかれる事も度々あった。

 ある日、私は仰向けで横になっている途中でしばらく放っておかれた事があり、その時にウツラウツラと寝てしまい、慌てて戻ってきた先生に、「はいっ、次いきましょう」等と言われ起こされた事があった。

 それ以来、先生が訓練中どこか他の患者の所に長時間行ってしまいそうになると、目を閉じて寝る体勢に入ろうとして、先生を暗に脅し、呼び戻したものである。

 PT(理学療法士)のリハビリが始まり、しばらくすると今度はOT(作業療法)のリハビリが始まる事になる。

 内容は最初はやはり手足がどのくらい動かせるのかを調べ、輪投げの輪を右のポールから左のポールへ移し変える等簡単な作業から始められ、そのうち、カラービーズを板に貼りつけていって景色を描いていく文化的な物や、とうの籠を作ったり、小物入れ等皮細工もやったりした。

 そのうち、その日のリハビリの始めに、机にバスタオルをたたんだようなものを敷き、その上に左手を右手を支えにして乗せて、腕の伸縮を100〜200回こなす運動をし、またある時は48ピースくらいの子供用の簡単なジグソーパズルを組み立てる事もあった。

 ここには医療センターで友達になったE子さんが退院後、旦那様に付き添われて通院してきていた。

 私が行った時間に偶然一緒になると、「陽ちゃん元気?」と声をかけてくれたりしたものである。

 やはりそこのリハビリルームには何人か同じ病棟から来ている患者がいて、PT(理学療法士)のリハビリの時と同じように、先生も引っ張りだこで忙しそうでしょっちゅう途中から居なくなっていた。

 そのうち慣れてくると、先生とも結構仲良くなり、お互いに憎たれ口をきくようになっていた。

 こういった感じで転院前には調理実習等もやるようになり、PT(理学療法士)の先生方や病棟の担当医や看護婦にもおすそわけにも行ったりするようになっていった。

 ただ、私の場合、食事が制限されていたので、「桧谷さんはこれだけね」と、料理のおかず等も肉を抜いて野菜だけや、ゼリー等のお菓子は本当に少しだけで、大部分は実習に参加した私以外の皆の分け前を増やすか先生か病棟の先生や看護婦や見舞いに来る親へあげるようにされており、自分が口にする分は悲しいことに殆ど無くなっていた。

 ある日、リハビリの部屋へ通いで来ている男性と知り合いになったのだが、その人がプロレスだかK-1のファンらしく前側に「大和魂」とプリントされたTシャツを着てきた事があり、私はそれに興味を持ち、「大和撫子」というプリントも出来るかどうか聞いてみたところ、インターネットで申し込んだらしく調達してもらえそうだったので早速申し込み、今もその「大和魂」Tシャツを思い出の品として大切に着ている。

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