転院準備

 先述のような事の繰り返しで友達も出来、ここの生活にも慣れてきた頃に、転院の話が出てくる。

 色々探した結果、墨田区にある、「都立リハビリテーション病院」が候補に上がった。

 倍率がここの病院と同様結構高く、難関のように思えたが、担当医がそこの病院の先生と知り合いらしく、紹介状を書いて下さった事もあって、以外と簡単に話がまとまった。

 この病院に来る時もそうであったが、話がまとまる前に事前に面接に行っていた。その際、車をチャーターし、ストレッチャーに横になり、車酔いをしながら面接先の病院へと向かった。

 面接時、その先の病院で車椅子を借り、ストレッチャーから車椅子に移り、担当医が待つ部屋へ向かった。

 話が前後するが、面接に行く前に現在の病院でMRI等、散々検査をし、ある日、母と呼び出され、その結果についてお話を受けた。

 撮影されたMRI画像を見せながらして下さった話によると、右脳の細胞はもう殆ど死んで壊滅状態なので、その壊滅状態の部分が関係している左側の神経の復活は見込めず、おそらく半身麻痺は一生ついて回るだろうという事であった。

 母とそれを聞き、聞く前から何となくそうではないかと思ってはいたが、改めてこう聞いて自覚をさせられて、結構ショックを受けたものである。

 だが、ならば片麻痺(半身麻痺)を動く方の右側で上手くフォローして生活していくしかないと悟り、そうしていく決心をし、今後その為の訓練をしていく事を母と誓い合った。

 話を新しい病院の面接に戻すと、担当になるであろう先生を訪ね、どこまで回復しているかを診てもらい、今後その病院でどういう方向で更なる回復にもってきたいのかを話し合い、後日結果を待ちわびる私達親子の元へ入院案内が届いたのである。

 いよいよここの病院ともお別れである。

 転院の日は医療センターからの時とは違いタクシーを呼んで行く事になった。先生を始め、看護婦さん達に「向こうでも頑張って絶対退院するんだよ〜、私達の事忘れないでね〜」と励まされ病院を後にした。

 看護婦さんの中には泣いている人もいたのを記憶している。

 新しい病院(都立リハビリテーション病院)は墨田川近辺にあり、JR両国駅から病院行きのバスがある。

 しかし結構不便な場所にあり、見舞いに来る母も不自由を強いられていたようだ。

 到着すると、病院の玄関ではおばが待っており、程なく担当看護婦が出迎えに出て来て、自室に案内され、入院生活上の諸注意を受けた。

 後から担当医が挨拶に来るので、自室でおとなしく待機するよう言われたが、道中の疲れのせいか熟睡してしまった。

 看護婦から言い渡された入院生活上の諸注意の中で一番こたえたのは病室にテレビ持ち込み禁止という事であった。

 携帯用テレビを持ち込もうと交渉したが、「例外を許すと他に示しがつかないので守ってください」と断られ、それ以来、テレビチューナー付きラジオ(テレビの音のみ聴こえる)を持ち込み、それでテレビを "聴く" ようにした。

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