食事

 献立表が1、2週間に一度、食堂の入り口付近の掲示板に貼られ、欲しい人はそこからもらっていくようになっていたが、配布される日になるとすぐ無くなってしまい、私は配布される開始時間までも看護婦や食堂の栄養士に聞きだして取りに行き、同室の人達の分までももらってきてあげたものだ。

 食事の味付けは割と美味しく、それまで入院した病院の中ではかなり良い方のレベルに入ると思う。

 朝は牛乳とお茶が付いてきたのでやはり前回と同じようにしてコーヒー牛乳にして飲んでいた。

 種類は和洋で分かれてはいなかったが、たまにエビチリ等の中華が出た。
 食事は希望すれば食堂で食べられたが、食堂希望者が多かったため、食事の介助が必要でなく、自室で食べても問題の無い私は、自室にて食べるようになった。

 食事は配膳車がまず食堂に着き、食堂で食べる人達の分を配ってから、各病室に配られる。

 私は大久保病院の時と変わらず嗜好品や調味料を持ち込んでいたが、ちょっと注意を受けただけで、没収される事は無かった。

 仕事や趣味等の予定の兼ね合いで、大丈夫な時は夕食の時には大体母が来てくれていて、一緒に食べていた。

 食前1時間か30分前に、医療センター(前の病院)と同様、看護婦がお茶を注ぎにをしに各部屋を回ってくれていた。

 そこで配られたお茶を飲んで、なおかつ食事に付いてくるお茶も飲ませ、つまりは体のために大量の水分を補給させようというのが目的である。

 食事といえば、私はよく、リハビリ後で部屋に戻ってからや食前や食後に腸を活発化させるヤクルト等の乳酸菌飲料を売店で買って飲んでおり、便秘で悩む同室の人にもあげていた。

 おかげで、(他の人は知らないが)私は薬や浣腸に頼らなくてもスムーズに便が出るようになっていった。

 その乳酸菌飲料は大体、日曜日のヒマな時間帯かリヒビリ終了後や入浴後のエレベーター待ちの時に売店に立ち寄り購入していた。
 そして購入した乳酸菌飲料やプルーン等の自分の所有する食料品は名前を記入し、食堂にある冷蔵庫へ保管しに行き、必要な時に持ち出してくる。

 飲料のパッケージ部分は水分が付着していて油性ペンでも名前が書き辛かったので、ビニールテープを購入し、それを貼ってそこに書くようにしていた。

 持ち込んだ物やこういったものの出し入れのために病室から食堂までの道のりを、思えばよく往復していたものだ。

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