6月

 7日、自宅で倒れる。その前から前兆のようなものはあって、朝道後温泉に入って松山空港から羽田まで来て学校で2時限(10:40-12:10)の授業を受けたのに全く覚えていないなどの記憶がないとか(でも後から脳外科 {脳神経外科} の先生に訊いたら多分それは前兆ではないだろう。もしかしたら飛行機で気圧が変わって出血に繋がったのかもしれないとと云われましたが、もしそうなら飛行機に乗ってから記憶がなくなっても良いはずなのに、飛行機に乗る前から、その日の朝から記憶がないのです。)、それまで強かったのに急にお酒が弱くなったりしていたのでした。

 その日は今振り返ってみると木曜日なのですが、午前中は普通にメールを書いていたりして、(ここからは覚えているのですが)夕方、頭が痛くなってきて(頭痛持ちでしたので、しょっちゅう頭は痛くなるのですが、明らかにそれと違っていました。)救急車を呼んで(住所を訊かれたので千葉県は云わずに我孫子市... と云ったことをなぜか覚えています。)、その後結構余裕があって、救急車が来ても隊員の人が入って来られるように庭に面した大きな窓を開け放って置いたり、畳の上じゃ痛いだろうからマットレスの上に倒れようとか考えていた記憶があります。あとはどんどん意識が遠のいていって、救急車のサイレンがせまってくるのとか、「増田さん!増田さん!」という声とかは、うっすらと覚えています。いや〜、一人暮らしってのはこういう時に危ないですね。しかし実家にいたら救急車なんか呼ばなかっただろうし、運ばれても運良く良い病院に行き着くことはないでしょうから、よく分からないけど。

 後は二ヶ月ほど意識がなかったので全てあとから聞いた話ですが、救急車で運ばれる途中、二回呼吸が止まったそうです。で運ばれたのが県境を越えた茨城県の取手市で、そこの脳外科の鶴岡先生という人が緊急手術をして、今に至る次第です。

 その日のうちに警察の人が家に来たらしく、充電器にささっていたPHSのリダイアルから友達の電話番号を割り出し、いろいろ訊いたらしいです。でも我が家に来たことがある人は知っていると思うけれど、七輪はあるし、グランドピアノはあるし、その下には油絵のキャンバスがあるし、写真の暗室はあるしで、たまたまバイト中だったその友達は説明するのが大変だったそうです。その上そのころアロマテラピーに凝っていて、我孫子のイトーヨーカドーでそれ用のロウソクが安く売っていて、20本くらいまとめ買いしたのがあり、それで薬の線を結構疑われたらしいです。

 その日のうちには我孫子警察の方から実家にも連絡が行って、丁度夕飯を食べようとしていたら電話がかかってきたそうです。それから両親は取手の病院に行って、それからしばらく、主のいない我孫子の家に住むことになるのですが、最初入ったときは家中酒瓶がゴロゴロしていて、好きだったインド系お香の凄い臭いと、写真の酢酸が入り交じったなんともいえない臭いで大変だったそうです。

 その緊急手術というのが三時間くらいに及ぶ手術で、今でも頭の後ろに一文字にかなり痛々しい傷があります。
 ともかく病院へ運ばれて緊急手術の後、ICU(集中治療室)に行ったのですが、父親が生命にかかわるかどうか訊いたところ、お医者さんはたぶん駄目だろうということだったそうです。その頃は多分死ぬだろう、良くて植物人間ということだったらしいので、今こうやって文章を打っているのが信じられないくらいです。後、手術の方も60歳以上だったら体力的に耐えられなくて死んでいただろうということでした。

 手術が終わってICUに移ったのですが、その後がまた大変で、二三日の間に倒れたときに吐いたものをまた吸い込んで重傷の肺炎を起こしたり、頭の方も水痘症というのから色々やりました。
 しばらく我孫子の家に両親が住んでいましたが、隣の人から、「取手に鶴岡先生という有名な脳外科の医者がいるらしい」ということを聞いたのですが、たまたまその先生にかかっていて、とても運が良かったわけです。結構その先生は有名で、他県からもわざわざ取手に来る人もいるらしいです。

 なんとかそれを通り抜けて、十日目には自発呼吸ができるようになりました。


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