台湾居候記 1/8

 成田から三時間。台北の南にある台北中正空港に着陸。生まれて初めて見る異国の大地の第一印象は「褐色」。日本と比べて、空気が黄色がかっている。地面を眺めてみると、ジグザグの道が地をはっていて、それまで直線だったものが畑にぶつかって折れ、何もなかったかのように再び直進を始めるといった調子。隣には数カ月ぶりに帰郷する峻榮氏。これから一週間、彼の実家に居候することになる。
 空港に着いたらすぐに外に出られるのかと思ったら、税関を通らねばならない。その税関が恐ろしくゆっくりとしたもので、何十メートルにも及ぶ行列が出来ているにも関わらず、数人でゆっくり、ゆっくりやっていて本当に腹立たしい。この後、一週間かけてこの感覚になれていくのだが。
 空港ロビーで峻榮氏が、父上の車を探しに行ってくるから少し待っていてくれと云うので周囲を眺めていたら、突然、見知らぬ男性が中国語でまくしたててきた。どうやら道を聞いているらしいので、彼が帰って来たところで応対してもらったが、空港を降りた途端に台湾人と間違われるとは...
 父上の車で家のある台北県三重市へ。途中床屋に寄って二人とも散髪。私は長くなっていた髪を二センチほどまで刈って欲しかったのだが、なかなか伝わらない。後で街を歩いてわかったのだが、台湾の男性は判で押したように長い髪を真ん中で分けていて、短く刈っている人は滅多にいない。髪型に関しては画一的な国だ。父上はそばのソファに座って、お茶を飲みながら店員と談笑している。
 家に着いて荷物を置くと、疲れて眠ってしまった。起きると既に夕方。この日は峻榮氏の一家全員で近所のレストランに夕食を食べに行く。一階に食材を置いたケースがあり、その中に蛙を発見する。一度食べてみたかったので期待していたがこの日の料理には出ず、その後も帰るまで口にすることができなかった。何でも数年前に蛙による食中毒の被害があったらしく、それ以来台湾人も蛙を口にすることはめっきり減ったとか。
 食事風景。お馴染みの回転テーブルだが、これだけ人数がいると他の人が取り終わるのを待っていては何も取ることができないらしく、おたおたしていると箸を延ばしている間に皿が向こうへ行ってしまう。
 遠慮するなと云われても、朝は日本にいたのに突然意味の分からない言葉を喋る人達の中に放り出されて、ただただ、唖然。
 なんとか交流を図ろうと台湾に来て最初に覚えたのが酒の飲み方で、「ウォージンニー」と云いながら相手に自分の杯を差し出すのが一般的な乾杯の仕方。同じようにしてうっかり「かんぱい」と云ってしまうとお互い杯の中の酒を一気に飲み干さなければならない。お酒は高粱酒で、40度もある。
翌日は朝早く、近くの山へ。峻榮氏のバイクの後ろにしがみつき、観音山まで十キロの道のり。途中通った道はひからびた大河の跡で、増水に備えてか高圧線の鉄塔が下駄を履いていた。
麓でバイクを降りて、階段の登山道を登っていくと、途中に見慣れた石仏。日本統治時代に日本人が建てたものとかで、日本人の名が彫られている。お供えだけが台湾風。
山の中腹で拳法の練習。これから毎日、朝はここまで登ることになる。
 山のお寺のおみくじ。からくりになっていて、右下の投入口からお金を入れると、巫女さんの人形が後ろを向いて祠まで進む。開いたドアの中から丸めたおみくじをお盆に載せて戻ってくる。おみくじは手前の赤い箱に落とされてそれが出口から出てくる。それをありがたく頂く。という仕組み。
 肝腎の結果はと云うと、日本と同じような当たり障りのないことが書いてあったが、吉、凶といった判断はなかった。
そのお寺の中。峻榮氏に倣って参拝してみたが、ただ手を合わせるといった簡単なものではなく、線香を持ったまま膝をついたり頭を下げたり立ったりと複雑。
そのまま観音山の頂上まで登山することに。頂上に近い小屋では、数人の男性が楽しそうにお昼の最中。酒も入って議論は盛り上がり、一人はずれたニコニコ顔の男性は我々にお茶を勧めてくれた。
下山途中で休憩しようと寄ったのが"猪血(米編に果実の果)"なる豚の血を羊羹のように固めてきな粉?を付けたもの。峻榮氏はおいしいからと勧めるのだが、少々血に弱い私はアイスクリームがあったのでそちらで勘弁してもらうことに。