台湾居候記 8/8

 中元節の儀式。お昼はご先祖様に御馳走を捧げる。上げた線香が半分ほどになったら、お父さんを残して皆で下に降りて、手前にある死者のお金を火に入れる。あまりに大量に燃やすので、それによる大気汚染が問題になるほど。
 お土産を買いにと行ったショッピングセンター。会員になってカードを作らないと入店することすらできないという厳しさで、鞄などの持ち物はコインロッカーにいれなければならない。カメラを持って入ろうとしたら入り口のガードマンに止められたので、背中に隠して入った。
 台湾は不況の真っ直中にあるとのことだが、ここを見る限りとてもそのようには見えなかった。
 通りがかった電話機コーナーで、商店用の電話機を発見。持って帰るにはかさばるし、値段も日本円で6000円あまりしたが、どうしても気に入って購入。
 地下街にあった日本の小物を専門に売る店。その名も『素晴の部屋(すばらしいのへや)』。先の『日語菜菜子の第一句』もそうだが、中国語の"的"の代わりに"の"を入れれば日本語ということになっていて、町中に奇妙な"の"があふれていた。
 こちらは台湾の干支の人形に混じって置かれたピカチュー人形。結構馴染んでいる、かも。
 峻榮氏の部屋。
 昼のドラマ『土地公』。その町の道教の守り神、土地公が人間社会のいざこざをうまく解決するといった筋立ての時代劇で、神様同士のいがみ合いもあって、なかなか面白い。台湾のテレビは全て字幕が入るので、漢字の意味を推測していけば日本人にもおおかた理解できる。
 台湾ではケーブルテレビが一般的なのだが、いい加減なもので、近所で線を付け替えている時に映像が一瞬とぎれるということがあったし、ひどい時は一日映らないということもあるらしい。
 峻榮氏宅の近くまで歩いて帰ってきてみると、中国との戦争状態になった際に備えての訓練が行われていた。運悪くこれにぶちあたると人も車も突如現れた警官によって路肩に寄せられ、数十分間、終了のサイレンがなるまでただじっと待っていなければならない。ひっきりなしに車が往来していた道が急に静かになり、町は異様な緊張につつまれる。この時ばかりはとてもシャッターを切れる様子ではなく、これは訓練が終わって皆が動き出したところ。
 台北駅前の、日本で云うところの銀座といった所だが、少々強い雨が降ると水に浸かってしまう。立ち往生してしまう車をよそに、遠回りするくらいなら靴を脱いで渡ってしまおうという女の子たち。
 数時間後に行ってみると水は退いていたが、アーケードは食べ物屋から流れ出した油でつるつるになっていて、つかまらなければ歩けないという状態だった。
 台北駅に張ってあったポスター。空襲の時の心得が説いてある。右上のマスには先の訓練のように、車は路肩に寄ることが書いてあった。
 台北駅前で見つけた判子屋さん。一人で来ていたので片言の中国語と台湾語で値段を訊けば、日本円で2000円しないということだったので、頼むことに。牛の角に手彫りでこの値段は素晴らしい。
 台北市から峻榮氏宅へ帰るタクシーの中から。もう明日は日本に帰ってしまうんだなと思うと、霞んだ夕景が切ない。
 朝、起きると峻榮氏は観音山に一人で行ってしまったので、こちらは近所を散歩。中学生が登校途中の屋台で世間話をしながら休憩していた。
  その後...
この後昼頃、荷物をまとめ、お父さんの車に乗って台北空港へ向かったのだが、ひょんなことから家に戻って、その後さらに数日お世話になることになった。私はこの地を離れるという惜別の念に思う存分浸っていたのに、再び三重の峻榮氏宅に戻ることになるとは。台湾は何が起こるか分からない国であり、まあそんなことはどーでもいい国なのだということを思い知ったのだった。
 その後数日間がどのように過ぎていったかは、この日記には、記さないことにする。